
双子や三つ子を授かったときの喜びって、なんとも言葉にしきれないほど大きなものでした。
でも、その喜びがほんの一瞬で不安に変わった日。
出産後、わが子がNICUに運ばれていったあの瞬間のことは、今でも胸がぎゅっと締めつけられるように思い出します。
保育器の中で小さな体を動かす赤ちゃんに会えたのに、手を握ることも、すぐに抱っこすることもできなくて。
なんだか自分だけが“お母さん”じゃないような、そんな心細さに押しつぶされそうになっていました。
病室に戻って手渡された母子手帳。
ふつうなら育児のはじまりを記す記念のようなその手帳を前にして、何を書いたらいいのか?
そもそも書けることがあるのかと、途方に暮れてページを開けないまま閉じた日もありました。
でも時間が経つにつれて、その空白のページにも意味があると気づくようになったんです。
泣いてばかりいた日も、何も書けなかった自分も、あのときの等身大のわたしでした。
このページでは、NICUという特別なスタートラインに立ったママが、母子手帳とどう向き合えばいいのか?
わたし自身の経験や他のママたちの声をもとに、一緒に考えていきたいと思います。
書けない日もある。でも、それでもいい。
そんな気持ちで、少しでも心が軽くなるようなお話を届けられたら嬉しいです。
NICU入院中の母子手帳、書けないと悩むママへ
母子手帳を開くのがつらかった日々
NICUに赤ちゃんが入院している間、病室でぽつんとひとり、手渡された母子手帳を前にして、どうしていいかわからず涙が止まらなかった日が何度もありました。
周りのママたちは「今日のオムツの回数」「体重の増え方」「授乳のタイミング」を楽しそうに記録していたけど、私の手帳は真っ白。
体重も、母乳の記録も、自分では見られないし測れない。
何を書いたらいいのか、というより、書けることなんてあるのかすらわからなかったんです。
ページを開くだけで、何もできていないような気がして、情けなさと不安とでいっぱいになってしまっていました。
“書けない自分”にダメ出ししないでいい
だけど、ある日NICUの面会から戻ったあと、赤ちゃんの小さな寝息を思い出して、ふと1行だけ書いてみたんです。
「今日、初めて指を動かしてくれた」。
たったそれだけ。
だけどそれが心にすっと入ってきて、「わたし、ちゃんと見てた」「ちゃんと、感じてた」って思えた瞬間でした。
完璧に書かなくてもいい、データをきっちり埋めなくてもいい。
母子手帳は、未来のための記録であると同時に、“今”を生きる私たちママの、心をそっと支える居場所でもあるんだと思えるようになりました。
空白のページにも意味がある
書けない日があったからこそ、後から見返したときに、「それでもあの日々を生き抜いてきた」という実感がじんわりと湧いてきます。
空白もまた、何もできなかった証じゃなく、何もできないほど精一杯だった証。
NICUに通って、面会のたびに手を握って、帰り道に泣いて、それでもまた次の日も会いに行った。
あの空白の時間も、全部が大切な記録だったんですよね。
だから、どうか自分を責めないでほしいんです。
「書けなかった」も、「何も書く気力がなかった」も、ちゃんと意味があることなんです。
誰のためでもなく、自分とわが子のために
母子手帳って、つい
「ちゃんと書かなくちゃ」
「いつか誰かに見せるもの」
と思いがちだけど、本当に大事なのは、今のあなたと赤ちゃんとの時間がそこにあること。
体調や気持ちが不安定なときに無理して書かなくても大丈夫。
書きたくなったとき、思い出したいときに少しずつでいい。
その1行1行が、後になってあなたを励ましてくれる宝物になるから。
だからこそ、母子手帳に書けることがあれば書いてみる。
書けないときはそっと閉じて、大切に抱えておいて、それで十分なんです。
NICU入院中の母子手帳の書き方|記録の目的を見失わないように
“記録すること”が目的になっていませんか?
NICUに通っていると、
「病院からもらうプリントやメモ」
「モニターの数値」
といった「日々の変化」がとにかく多くて、母子手帳にどうまとめたらいいのかわからなくなってしまうことがあります。
そんな中で、
「ちゃんと書かなきゃ」
「ちゃんと残しておかなきゃ」
と、気がつけば“記録すること自体”が目的になってしまっていたりしませんか?私もそうでした。
抜けている日があると罪悪感がわいてきたり、きれいに書けないページを見て落ち込んだり。
でも、本来の目的って「わが子の成長を、未来の自分と一緒に見返すため」だったはずなんですよね。
データとして正確かどうかではなく、「あの日、何を感じたか」「どう乗り越えたか」を残しておくことこそが、大切な宝物になるんです。
数字よりも、“その瞬間の気持ち”が未来を救ってくれる
NICUにいる間は、体重や心拍数、血中酸素濃度といった数字ばかりが目に入ってきます。
そして、どうしてもその数値に一喜一憂してしまう。
もちろん大事な情報なんだけど、母子手帳に残しておきたいのは“母としてのあなたの目”で見た、わが子の姿でもあるんです。
「今日、初めて泣き声が聞けた」「抱っこしたら目を見てくれた」そんな出来事を1行でもいいから残しておくと、それが後からどれだけ力になるか、本当に驚くほどなんです。
私自身、退院してしばらく経ってからその一言を見返して涙が止まらなくなったことがあります。
「ああ、ちゃんと向き合っていたな」
「あの日々は意味があったんだな」
って、ようやく自分を認めてあげられた気がしました。
“正しい”より“あなたらしい”記録が一番尊い
育児書やネットには「こう書くといいですよ」というアドバイスがたくさんあるけれど。
NICUという特別な状況では、そんな型通りにはいかないこともたくさんあります。
だからこそ、自分のペースで、自分の気持ちを軸にした書き方で大丈夫なんです。
たとえば日記のように感じたことを自由に書いてもいいし、書けるときだけ体重や面会の内容をメモするだけでも十分。
誰のためでもなく、自分と赤ちゃんのために残すものだからこそ、“正しく書こう”じゃなくて“自分らしく書こう”を意識してみてくださいね。
母子手帳の管理方法|複数冊・複数の子どもをどう分ける?
双子・三つ子ママにとっての“母子手帳あるある”
双子や三つ子を授かると、最初に戸惑うのが「母子手帳が2冊、3冊…どうすればいいの?」ということでした。
妊娠中から冊数が多くてかさばるし、記録内容が重なったり分かれたりして、書き分けが難しくなるんですよね。
NICUに入院している間は特に、面会のあとどっちの手帳に何を書いたか分からなくなってしまって、記録がぐちゃぐちゃになったこともありました。
焦るし、間違えるし、「私には無理かも」って思ったこと、正直一度や二度じゃありませんでした。
色分け・シール・インデックス…“見分けやすさ”が救いになる
そこで私がやってよかったのが「見た目でパッと区別できる工夫」でした。
それぞれの母子手帳に違う色のシールを貼ったり、名前シールを貼ったり、100均で買ったインデックスを付けたり。
中には自作のカバーをつけて、ひと目で誰の手帳かわかるようにしているママもいましたよ。
書く内容に集中するためにも、まず「これは◯◯ちゃんの手帳!」と分かることがとても大切なんだと実感しました。
記録の仕方に“正解”はない、自分にとって楽なやり方でOK
NICUに通うだけで心も体もいっぱいいっぱい。
そんな中で、毎日きれいに全部の手帳を埋めるなんて無理があるし、そもそも完璧にやろうとする必要なんてないんですよね。
私はまずノートやスマホのメモに思いついたことをその都度書いて、時間があるときに母子手帳に転記するようにしていました。
「その場で完結させなくちゃ」は手放していいルールです。
後でまとめてでも、思い出しながらでも、自分にとって負担の少ない方法で書けば、それでじゅうぶんなんです。
大切な手帳を“守る”という視点も忘れずに
NICUではいろんな書類を渡されるし、メモや診察記録が増えてくると手帳がしわくちゃになってしまったり、うっかり濡らしてしまったりということも。
私はジッパー付きのA5ポーチに、母子手帳とペン・メモ帳をひとまとめにして持ち歩くようにしていました。
さっと取り出せるし、必要なものが全部揃っているという安心感もありましたよ。
「書くための準備をしておくこと」が、書くハードルをぐっと下げてくれた気がします。
NICU入院中にできる「心の記録」も大切に
数字では表せない“気持ち”を残しておこう
NICUにいると、どうしても目に入るのはモニターの数字だったり、検査結果の用紙だったり、成長曲線のグラフだったりします。
でも、わたしがいちばん心を動かされたのは、そういう“データ”ではなくて、
「今日、目を開けてくれた」
「ほんのちょっと笑った気がした」
とか、そんなささやかな一瞬でした。
数字には残せないけれど、心に深く残っている出来事ってありますよね。
母子手帳は、そういった“その瞬間に感じた気持ち”を書きとめておける場所でもあるんです。
ひとことだけでもいい、それが未来を救ってくれる
「今日は眠ってるだけだった」「昨日よりちょっとだけ肌がピンク色に見えた」そんな一言でいいんです。
完璧な文章じゃなくていい。
気持ちが揺れているときに「今日も会いに行けた、それだけで充分」と書いたページが、あとになって自分を励ましてくれることがあります。
わたしは退院して半年後にそのページを見返して、あのときの自分に「よくやったね」って、ようやく言えたんです。
たった一行でも、未来の自分にとっては大切な“証拠”になるから、不安や涙がにじんだままでも書いてみてほしいです。
書けない日も、立派な“記録”です
NICUに毎日通って、体も心も限界ギリギリのときに、母子手帳を開く余裕なんてあるわけない日もありますよね。
わたしもそうでした。
「今日は書けなかった」「泣いて終わった一日だった」そんな日が続いたとき、「ああ、ダメだな」って思っていたけど。
でも今ではむしろその空白にこそ、当時の必死さがにじんでいる気がするんです。
書けなかった日も、書けない自分も、全部まるごと“わたしの育児”だったと思えたとき、ようやく肩の力が抜けました。
心の記録は“誰のため”じゃなく、“自分たちのため”に
心の記録って、誰かに見せるために書くものじゃないんです。
未来の自分、そして大きくなったわが子が「ママはこうやって向き合ってくれていたんだな」と感じられる、ささやかな手紙のようなもの。
だから上手に書こうとしなくていいし、感情がぐちゃぐちゃなままでもかまわない。
むしろ、その“ぐちゃぐちゃ”にこそ、本当の想いが詰まっているからこそ、読み返したときにじんと胸に響くんだと思います。
まとめ|母子手帳は「書くこと」より「感じること」が大事
NICUという特別な環境の中で、母子手帳に何を書けばいいのか悩むママは本当にたくさんいます。
わたしもその一人でした。
白紙のページを前に、書けないことを責めたり、泣いたり、自分だけが取り残されているような気持ちになったこともありました。
でも、今振り返ると、空白も、迷いも、全部が“母であろうとした日々”の証でした。
母子手帳は、きれいに整った記録を残すためのものじゃなくて、あなたと赤ちゃんが過ごした時間を、そのままの形で包んでくれるもの。
数字じゃなくてもいい、完璧じゃなくてもいい。
ほんの一言の「がんばったね」や「今日も会いに行けた」が、何年後かにあなたを救ってくれることもあるんです。
書けない日があったっていいし、書く気力がない日があっても当然です。
あなたはちゃんと赤ちゃんと向き合ってるし、もうすでに“母親として十分”なんです。
どうか、書くことをプレッシャーに感じずに、心の中に浮かんだ小さな想いを大切にしてみてください。
母子手帳は、あなたと赤ちゃんのかけがえのない軌跡をそっと記録していくための、大切なパートナーですから。

