
妊娠がわかって「赤ちゃんがいるんだ」と気づいた瞬間も胸がドキドキしたけれど、エコーで
「双子ですね」
「三つ子ちゃんですよ」
と告げられたときのあの感覚は、今思い出しても言葉にしきれないものがありますよね。
嬉しさで胸がいっぱいになったはずなのに、そのすぐ横で
「本当に育てていけるのかな」
「ちゃんと守ってあげられるのかな」
と、じわっと不安が広がっていったりして、心の中が忙しくて落ち着かない感じがしたんじゃないかなと思います。
母子手帳を受け取ったときもそうで、
「この小さな手帳に、二人分も三人分も全部ちゃんと残せるのかな」
「そもそも書く時間なんてあるのかな」
と、うっすらプレッシャーみたいなものを感じた方も多いんじゃないでしょうか。
出産後の毎日は想像していた以上に嵐みたいで、とにかく目の前の授乳や抱っこや寝かしつけで精一杯で、「記録をつける余裕なんてどこにもないよ…」と半分あきらめながら。
それでもページの端っこに日付だけ書いてみたり、ぐしゃぐしゃの字で体重だけメモしてみたり、そんなギリギリの中で母子手帳と付き合っていた人もきっと少なくないはずです。
私自身も、当時は「こんな中途半端な記録なら意味ないかもしれないな」と思っていた時期が正直ありました。
それが数年たって、ふと引き出しの奥から母子手帳を取り出してパラパラとめくってみた瞬間、胸の奥がじんわり熱くなって、気づいたら勝手に涙が落ちていたんです。
きれいに整った記録なんてどこにもなくて、その代わりに、眠くて手が震えた日につけた小さな数字や、心配で震えながら書いたメモや、看護師さんの言葉を必死で書き留めた痕跡がそこにありました。
それは「完璧じゃなかった自分」を責める材料じゃなくて、「あのときの自分なりに精一杯やっていた」という証拠そのもので、「ああ私ちゃんとあの頃の子どもたちと向き合っていたんだな」と静かに教えてくれるものだったんですよね。
このページでは、そんな多胎育児のママが母子手帳を後から見返したときに「残しておいてよかった」と感じたポイントを、ちょっと赤裸々な気持ちもまじえながらお話ししていきます。
「ちゃんと書けてないしなあ」とモヤモヤしているあなたにも、そっと寄り添えたらうれしいです。
母子手帳を見返したとき、あふれた涙の理由
あの頃は必死で気づかなかった「成長の軌跡」
双子を出産して最初の数か月は、本当に記憶が曖昧になるほど必死でした。
授乳の時間も睡眠の時間もバラバラで、どちらかを抱っこするともう片方が泣き出す。
そんな毎日を繰り返しているうちに、いつの間にか季節が変わっていた気がします。
母子手帳に何かを書こうと思っても、ペンを持つ手が震えて字が歪み、書いた内容も「ミルク〇ml」「体重増えた」くらい。
それでも後で見返すと、その小さな文字たちが、あの頃の私をまるごと閉じ込めていて、言葉にできないほど胸が熱くなりました。
あのときはただ生きるように育てていたけれど、確かにひとつひとつ積み重ねてきた時間がここにある。
そう気づいた瞬間、静かに涙がこぼれたんです。
1ページ1ページに詰まっていた“がんばった証拠”
母子手帳をめくるたびに、「1回目の予防接種」「首がすわった日」「初めて笑った日」などの記録が出てきます。
その横に書かれた私のメモには、
「夜中ずっと泣いて寝不足」
「よく頑張ったねって言われて泣いた」
など、そのときの感情が残っていました。
今読むと、どれも完璧ではなくて、むしろ不安や迷いがにじんでいて、それがまたリアルで愛おしいんです。
誰かに褒めてもらわなくても、この手帳を開けば「よくここまでやってきた」と自分で自分を抱きしめたくなる。
そんな不思議な力がこの小さな冊子にはあるんですよね。
双子・三つ子育児だからこそ感じた「記録の意味」
多胎育児では、1人ずつにかける時間が圧倒的に少なくなります。
どちらかを抱っこすれば、もう1人を待たせることになる。
その罪悪感に押しつぶされそうになる日もありました。
でも、母子手帳を見返すと、
「二人とも少しずつ体重が増えている」
「小さな手の大きさが日に日に変わっていく」
その事実がちゃんと残っていて、私がちゃんと両方を見守っていた証拠がそこにありました。
書けなかった日があっても、残っているページの一文字一文字が「あなたはちゃんとやってたよ」と静かに語りかけてくれる。
多胎ママにとって、この手帳は記録以上に“自己肯定の証”になるのかもしれません。
母子手帳が心の支えになった瞬間
子どもたちが3歳になったころ、保育園の先生に「母子手帳の記録を見せてもらってもいいですか?」と聞かれました。
私は恥ずかしさと誇らしさが入り混じった気持ちで手帳を差し出しました。
先生が「たくさん書いてますね。大変だったでしょう」と優しく声をかけてくれて、その言葉に涙がにじみました。
自分では“ちゃんとやれてない”と思っていたけれど、他の誰かがその努力を見つけてくれた瞬間、ようやく自分を許せた気がしたんです。
その日から、私はこの手帳を「記録のため」だけでなく、「心を支える小さな証」として大切にしまうようになりました。
見返すたびに蘇る「愛おしい日々」
今でもふとした瞬間に母子手帳を開くことがあります。
ページをめくるたびに、あの独特の紙の匂いとインクの跡が、当時の風景をそのまま連れてきてくれるんです。
泣き止まなかった夜、二人が同時に笑った朝、病院の待合室で抱きしめた小さな体。
全部がそこに残っている。
それはもう記録というよりも、「家族の歴史」と呼びたくなるような、私にとっての宝物です。
母子手帳は、あの日の自分と、あの頃の小さな命たちを結ぶ、静かで確かな絆なんですよね。
多胎育児の母子手帳、書いておいてよかったポイント
成長記録だけじゃない!“当時の気持ち”を残しておく意味
母子手帳というと、どうしても「体重」「身長」「ワクチンの日付」など数字の記録を思い浮かべますよね。
でも、実際に後から見返して心に残るのは、数字ではなく“気持ち”の記録なんです。
双子や三つ子を育てていると、1日がまるでマラソンのように過ぎていきます。
朝から晩まで泣き声と笑い声の中で、ふと「なんで泣いてるのか分からない」「もう限界かもしれない」と思った日もあれば。
「今日は2人ともよく笑ってくれた」「三人でお昼寝できた」なんて小さな喜びもありました。
そうした一言をそのまま書き残しておくと、数年後に読み返したときに、その日の空気まで思い出せるんです。
母子手帳は、子どもの成長を記録するだけでなく、“ママの心の記録帳”でもあります。
あの日の不安も、喜びも、ぜんぶ愛おしい時間の一部だったと気づかせてくれるんですよね。
健診・ワクチン・体重など、後で助かった具体的な記録
多胎育児では、健診や予防接種のスケジュールがどうしても複雑になりがちです。
「どっちが先に打ったっけ?」「Bちゃんの体重がAちゃんを超えたのはいつだった?」など、時間が経つとあやふやになることも多いです。
私も最初は混乱していましたが、母子手帳に「A:8.1kg/B:7.9kg」としっかり書き分けるようにしてから、病院や保育園の提出書類で慌てることがなくなりました。
さらに、発熱のときに
「ワクチン後だったか」
「風邪の時期だったか」
を確認できるなど、医療面でもとても助かります。
あのとき書いておいたメモが、未来の自分を支えてくれる。
母子手帳のページには、そういう“タイムカプセル”のような力があるんです。
双子・三つ子の「書き分けルール」を決めておくとラク
母子手帳を1冊で共有する場合、誰の記録なのかが分からなくなることがあります。
私も最初は何度も混乱して、「あれ、どっちの体温だったっけ?」と悩んでいました。
そこで、
「Aちゃん=ピンクペン」
「Bちゃん=青ペン」
「三つ子ならCちゃん=緑」
といった色分けルールを決めたんです。
すると見返すときにひと目でわかるようになって、記録のストレスがぐっと減りました。
ページを分けたり、付箋を貼ってそれぞれのコーナーを作るママもいます。
工夫は人それぞれでいいと思いますが、“未来の自分が読みやすい”ように意識しておくことが大事です。
完璧じゃなくても、「これなら後から思い出せる」と思える形で残せば十分なんです。
後からの「比較」ではなく「記録」として残す
特に双子を育てていると、どうしても発達や成長のスピードを比べてしまう瞬間があります。
早く立ったのはAちゃん、でもBちゃんは言葉が早い。
そんな違いを母子手帳に書きながら、「どうして違うんだろう」と不安になった日もありました。
でも数年後に見返すと、どのページにも共通して「どちらも確実に前へ進んでいた」ことが記録されています。
比較のためではなく、“個性の記録”として手帳に残すことで、親の心も少しずつ穏やかになっていくのを感じました。
母子手帳は、子どもたちを比べるものではなく、それぞれの「小さな物語」を大切に書き留める場所なんです。
未来の自分へのメッセージとしての記録
母子手帳を見返すたびに、「よく頑張ってたね」とあの日の自分に声をかけたくなります。
たとえ書けなかったページがあっても、書けた日が少しでもあれば、それがきっと自分を励ますメッセージになります。
「あのとき書いた自分が、今の私を支えている」。
そんな感覚を与えてくれるのが、母子手帳の一番の魅力だと感じます。
記録とは、未来の自分への“エール”でもあるんですよね。
記録ができなかった時期も大丈夫|空白のページにも意味がある
“書けなかった”日々こそ、精一杯の証
双子や三つ子を育てていると、
「今日は何も書けなかった」
「あっという間に一週間が過ぎてしまった」
と気づくことが本当に多いです。
手帳を開いて真っ白なページを見ると、つい「ちゃんと残せなかったな」と自分を責めてしまうこともありますよね。
でも、今振り返ってみると、その“空白のページ”こそが、必死に生きていた証拠なんです。
夜中に何度も授乳して、泣きやまない赤ちゃんを抱きしめながら、書く余裕なんてなくて当然でした。
あの空白は「何もしていなかった」時間ではなく、「書くよりも、子どもを抱いていた時間」なんです。
時間も気力も限られていたなかで、ページが空いているということは、それだけ育児に全力だったという証。
だからこそ、白いままのページを見ても、どうか責めないでほしいなと思います。
空白のページが語る“頑張りの記録”
母子手帳の空白を見ていると、不思議とあの日の感情がよみがえってくることがあります。
「ああ、この時期は夜泣きが続いてたんだな」「病院に通っていて余裕がなかった頃だな」と。
何も書かれていないのに、手帳がちゃんと語ってくれるんですよね。
実は、その“何もない”ページにも、当時の頑張りや不安、そしてたくさんの愛情がちゃんと刻まれている。
時間が経てば、その空白も優しい記憶の一部になります。
だから、完璧に埋まっていなくても、それでいい。
母子手帳は「欠けたページ」ではなく、「あの日のあなた」をそのまま残すためのものなんです。
無理に埋めなくてもいい。母子手帳は「比較」じゃなく「記録」
SNSなどで、びっしりと記録された手帳を見て「自分は全然書けていない」と焦る人もいるかもしれません。
でも、母子手帳は他の誰かと比べるためのものではありません。
書けた人が偉いわけでも、書けなかった人がダメなわけでもないんです。
むしろ、ページが空いている分、あなたがどれだけ手をかけて、心を尽くして育児をしてきたかが伝わってきます。
手帳は育児日誌ではなく、あなたと子どもをつなぐ記録。
そこに「完璧」は必要ないんです。
たとえ書けなかったとしても、その“余白”が、あなたの愛情の形なんですよね。
後から思い出せるように写真やメモを添える工夫
それでも「少しでも記録を残したい」という気持ちがあるときは、スマホの写真やメモ帳アプリを活用するのもおすすめです。
寝顔や離乳食の写真、ちょっとしたメモを後から貼るだけでも、立派な記録になります。
私自身、数年後にスマホの写真を見返して、その日の母子手帳ページに一言だけ添えたことがあります。
「この笑顔、やっと撮れた日」と書いたそのメモが、後で何よりの宝物になりました。
完璧じゃなくてもいいんです。
未来の自分が見返したとき、「この日があってよかった」と思える一言を、好きなタイミングで書き足していけばいい。
それが、母子手帳と穏やかに付き合っていくいちばんの方法だと思います。
手帳が“優しい時間”を運んでくれる日が必ず来る
今はまだ、ページを開くのがつらいときもあるかもしれません。
でも、時間が経つと、その白いページがやさしく微笑んでくれる瞬間が来ます。
「この頃の私、本当によく頑張ってたな」と素直に思える日が必ず来るから。
書けなかった日々をも責めずに受け入れられるようになったとき、母子手帳は“記録のノート”から“自分を励ます手紙”に変わります。
母子手帳を見返すタイミングと活かし方
「今だからこそ気づける」見返すタイミング
母子手帳を見返すタイミングは、人によって本当にさまざまです。
健診のとき、保育園や小学校の書類を記入するとき、ふとした瞬間に子どもの寝顔を見ながら手帳を開くとき…。
私の場合は、子どもが3歳になった誕生日の夜でした。
ロウソクの火を吹き消したあと、なんとなく手帳を取り出してページをめくったら、
「初めて寝返りした日のメモ」
「初めて“ママ”と呼ばれた日の記録」
などが出てきて、胸の奥がじんわり温かくなったんです。
育児の渦中では気づけなかった「こんなに成長してたんだ」「私も変わってきたんだ」という実感が、時間を経た今だからこそ感じられる。
見返すタイミングは、“心が少し落ち着いたとき”で大丈夫です。
あの日の頑張りを静かに抱きしめられるような、自分のタイミングでいいんです。
節目の日に振り返ると“心の整理”になる
1歳の誕生日、初めての入園、七五三、卒園の日…。
そんな“節目”のときに母子手帳を見返すと、自分の成長も同時に感じられます。
私も入園式の日、慌ただしい朝に手帳をめくって「1年前はまだ歩けなかったのに」と思わず泣いてしまいました。
子どもの成長を確認するだけでなく、自分がどれだけ母として歩んできたかを再確認できる瞬間でもあるんです。
時には手帳を見て、「これからも見守っていこう」と自分に言い聞かせるような、ちょっとした“心のリセット”にもなります。
家族で共有することで、記録が“思い出の会話”に変わる
母子手帳を家族で見返すのも、とても素敵な時間になります。
子どもが大きくなってから一緒に見ると、
「ママ、このときボク泣いてたの?」
「こんなに小さかったの?」
と笑いながら会話が弾みます。
お父さんも、「この頃、夜泣きが大変だったね」「頑張ってたね」と言ってくれることもあって、家族全員があの頃を優しく思い出すきっかけになるんです。
母子手帳はママだけのものではなく、家族みんなで共有できる“時間のアルバム”なんですよね。
特に多胎育児では、それぞれのページを一緒に眺めながら「どっちが先に立ったっけ?」なんて笑い合えるのも醍醐味です。
未来の子どもに手渡す“心のプレゼント”
母子手帳を見返す時間が増えるほど、「いつか子どもに見せてあげたいな」と思う気持ちが強くなりました。
泣いた日も笑った日も、全部この手帳の中に詰まっている。
大人になった子どもに手帳を渡すとき、「ママはこんな気持ちであなたを見てたんだよ」と言えること。
それが、私にとっての母子手帳の一番の意味かもしれません。
たとえ文字が少なくても、ページが空白でも、その一つひとつが愛情の証。
未来の子どもたちに、「あなたが生まれてきてくれて嬉しかった」という気持ちが、確かに伝わるはずです。
母子手帳は“過去の記録”ではなく“未来への道しるべ”
母子手帳は単なる過去の記録ではなく、これからの親子の関係を支える道しるべでもあります。
あの日の記録を読み返して
「あのときこう感じた」
「こういうことが大事だった」
と気づくことで、これからの育児にも自然と優しさや余裕が生まれます。
見返すたびに、「今の自分を少し好きになれる」そんな不思議な力を持っているのが母子手帳なんですよね。
まとめ
母子手帳は、単なる成長の記録帳ではなく、ママ自身の心の軌跡でもあります。
双子や三つ子の育児は、一日一日が嵐のように過ぎていき、余裕なんてほとんどなかったはずです。
それでも、手帳を開けば、ほんの一言のメモや、空白のページの向こうに、確かにあなたが歩んできた道が刻まれています。
「書けなかった」という事実さえも、その時を全力で生き抜いた証であり、何よりも価値のある記録なんです。
母子手帳は完璧に埋めるためのものではなく、「あなたがどう感じて、どう向き合ってきたか」をやさしく映す鏡のような存在。
子どものために書いていたつもりが、いつのまにか自分自身を励ます“お守り”のような役割を果たしていることに気づく瞬間がきます。
だからこそ、今もし手帳を見返す時間があれば、どうかそのページの一つひとつを慈しむように眺めてほしいです。
泣きながら書いた文字も、焦って書き殴ったメモも、どれもが“あの頃のあなた”が確かにそこに生きていた証拠です。
母子手帳とは、過去を懐かしむためのものではなく、今と未来をつなぐ小さな橋のような存在。
見返すたびに、「よくやってきたね」「これからも大丈夫」と、静かに背中を押してくれる温かい記録なんです。

